2012年7月2日月曜日

バブル/デフレ期の日本経済と経済政策


―シリーズ(内閣府経済社会総合研究所企画・監修全7巻)の公表について―
内閣府経済社会総合研究所主任研究官 岡田 靖 

はじめに
 戦後混乱期から高度経済成長期を経て、悪戦苦闘の末に二度の石油危機を乗り越えた80年代初め、日本経済は他の先進国と比較すると明らかに優れたパフォーマンスを発揮していた。多くの困難があることは明らかであったが、同時に地道な努力によってそれを乗り越えられるという希望も決して絵空事ではなかったのである。だが、今日から振り返れば、この時代にすでにバブル経済の種は蒔かれていたのかもしれない。それは同時に、バブル崩壊とそれに続くデフレと長期停滞の時代を胚胎していたことになる。いわゆる「リーマンショック」を契機にして勃発した世界経済危機を先取りするかのように引き起こされた日本経済の危機を理解しようとすれば、視野は危機の最初の明白な兆候であった90年初の株価暴落からさらに10年を遡る必要があることになる。かつて同じような危機のあと、小康を得ていた70年代終わりのアメリカでも、それに先行する時代の理解の必要性が痛感され邦題で「戦後アメリカ経済論」という研究書が刊行され、旧経済企画庁の職員を中心に翻訳され日本でも出版された。筆者にとって、ESRI(内閣府経済社会総合研究所)から刊行の始まった「バブル/デフレ期の日本経済と経済政策」は、この本と同じ課題への現時点での回答なのである。

「戦後アメリカ経済論」
 内閣府経済社会総合研究所(ESRI)は、内外の研究者との交流のために毎年「国際 コンファレンス」を開催して、そこへの提出論文や議事録を公表している。この会議の主たるパートナーとなっているのがNBER(National Bureau of Economic Research、全米経済研究協会)である。この機関は日本で言えば日本経済研究センターに相当するものであるが、その創立は1920年まで遡る。アメリカの(いわゆる)ノーベル経済学賞を受賞した31人の経済学者のうち16名がこの機関のassociates(協会員)であり、過去三代の会長は大統領経済諮問委員会の委員長を務めてきたことで分かるように、民間の非営利団体であるが非常に強い権威を有した機関だ。発足時から、アメリカ経済の実証的かつ数量的な分析に注力しており、初代の会長であるウェズリー・ミッチェルは数量経済分析の創始者の一人であり、今でも用いられている景気循環指標の開発者でもあった。また国民経済計算を実際に開始したのも、メンバーであったサイモン・クズネッツだったのである。マサチューセッツ州ケンブリッジに本部を置くこの機関は、現在も世界で最も活発に研究活動を行っている経済分析機関であると言って良いだろう。
 1980年、NBERはマーチン・フェルドシュタイン会長の下で、The American Economy in Transition(移行期にあるアメリカ経済)という題名の大部の書籍を刊行した。これは、1984年に宮﨑勇氏の監訳の下、主に経済企画庁職員の手により翻訳され東洋経済新報社から「戦後アメリカ経済論(上・下)」として出版された。内容は多岐にわたるが、当時の混迷を深めていたアメリカ経済の状況を反映し、戦後アメリカ経済を多くの側面(たとえば人口の推移や金融制度の変遷など)から歴史的かつ理論的に回顧するものとなっている。執筆者を見ると、筆者がその著作や論文を熱心に読んだ人だけでも、フェルドシュタイン、ベンジャミン・フリードマン、ミルトン・フリードマン、ロバート・ゴードン、アーサー・オーカン、ハーバート・スタイン、ウィリアム・ブランソン、リチャード・イースタリン、サイモン・クズネッツ、アラン・ブラインダー、リチャード・ケイブス、ポール・サムエルソンなどが並んでいる。本書の各論文とその討論の内容は、執筆から30年を経た現在から見れば時代遅れに見える部分も少なくないものの、その問題意識は今日でも全く色あせてはおらず、過去30年間の経済学の進歩は、その分析課題にではなく、分析手法にあったということがよく分かるものとなっている。

「バブル/デフレ期の日本経済と経済政策」
 ここまで読まれた読者諸賢にはすでに明らかであろうが、その研究メンバーとして参加した筆者にとって、「バブル/デフレ期の日本経済と経済政策」という研究プロジェクトの目的は、「戦後アメリカ経済論」を、さらに拡張した形で目指すことであった。幸い、そうした希望はかなりの程度まで実際の研究プロジェクトで実現することが可能となった。
 現在、慶応義塾出版会から刊行が続いている全七巻からなる「分析評価編」は、「戦後アメリカ経済論」がカバーしていたのと同様に実証的な経済分析の論文集である。協力頂いた専門家の数は、直接の執筆者だけでも延べ112名であり、論文数で88本となる。この小論が公表される時点で、既に刊行された成果は、第一巻「マクロ経済と産業構造」(深尾京司編)、第二巻「デフレ経済と金融政策」(吉川洋編)、第三巻「国際環境の変化と日本経済」(伊藤元重編)、第四巻「不良債権と金融危機」(池尾和人編)、第五巻「財政政策と社会保障」(井堀利宏編)であるが、まもなく第六巻「労働市場と所得分配」(樋口美雄編)、 第七巻「構造問題と規制緩和」(寺西重郎編)が刊行されることになる。
 さらに、来年度に入ると、この時代の経済的事実の集積と整理としてのA4サイズの原稿で1000ページになる経済史の公表も可能となる。そして、こうした研究や分析の基礎となる事実とデータも、電子的に入手が困難な政府文書、詳細な年表の形で公表することになる。
 歴史的な事実の収集整理は、文書や資料だけではなく、証言集という形でも進行しつつある。政策当局者や経営者、社会風俗に通じた映画監督や不動産投機で巨万の富を手にしながらバブル崩壊で全てを失った実業家などの証言を集めたオーラル・ヒストリーも聞き取り調査が行われており、歴史記述の一環として刊行する予定となっている。
 また、本研究の対象から後となるが、バブル崩壊という意味で深い関係にある2007年以降の世界経済危機に関する専門家によるパネルディスカッションも何度か開催しており、その成果も公表する予定である。
 さらに、NBERの協力を得て主に海外の研究者による日本の長期停滞現象やデフレといった問題に関するシンポジウムをニューヨーク(コロンビア大学)、サンフランシスコ(サンフランシスコ連邦準備銀行)で二度にわたり開催し、そこでの討論を経た研究論文集もすでに刊行の最終段階にあり、来年(2010年)の年央にはMIT出版局から刊行される。
 もちろん、バブル生成から崩壊そして長期停滞とデフレという戦後経済史では世界的にも未経験であった巨大な経済現象の総体を理解するのに、これらの研究で十分であるはずもないが、少なくとも過去に公表された同種の研究成果以上に広い分野をカバーしていることだけは間違いない。その意味で、この研究プロジェクトは十分に成果を挙げつつあるものと思われる。

「戦後アメリカ経済論」と「バブル/デフレ期の日本経済と経済政策」
  「戦後アメリカ経済論」に所収された論文の多くは、繁栄の60年代が過去のものとなってしまったアメリカ経済をいかにして復活させるべきかという問題意識を背景にしている。70年代初め、アメリカはケネディ・ジョンソン政権の下で「ベトナム戦争」と「偉大な社会計画」という二兎を追いそれに失敗した。ベトナム戦争の収拾を目指したニクソン大統領は前代未聞のスキャンダルであるウォーターゲート事件で失脚し、結局は不名誉なベトナムからの撤退に追い込まれた(1975年)。第一次石油危機によるインフレーションの昂進と景気後退はアメリカ経済に大きな打撃を与えたし、それを抑制すべく導入した物価統制は機能しなかった。さらに、カーター政権は構造改革(規制緩和と自由化)と強力なマクロ経済政策(日米独機関車論)の組み合わせによる世界不況脱却を目指したが、直後に第二次石油危機(1979年)が勃発し、同時にイラン革命の中で米大使館員の人質事件が起こり、さらにその奪還作戦の惨めな失敗が起きた時代である。まさに、アメリカは満身創痍の状態にあり、かつての世界帝国とも呼ぶべき地位から急速に落後しつつあった。「戦後アメリカ経済論」の出版された1980年とはそうした時期なのである。「監訳者まえがき」は、「パクス・アメリカーナの時代は去った、といわれる。」という一行から始まっていることが、この論文集の性格を表しているだろう。
 フェルドシュタインは、ベトナム戦争での経済政策の失敗や産油国カルテルによって引き起こされた石油危機などが、70年代アメリカの経済危機の原因として極めて重要であることを認めつつ、なおより深刻な構造問題の存在することを序文の中で強調している。それは、政府による経済への過剰な関与である。一言で言えば、大きな政府こそが問題ということだ。そこで彼はこう述べている。
・・政府による金融・財政政策の失敗は、総生産の不安定性と急速な物価上昇に寄与してきたし政府の諸規制は生産性上昇率の低下と、研究開発事業の鈍化をもたらした主因である。政府による所得移転政策の拡大は家庭生活に不安定性を増大させ、おそらく、出生率の低下へとつながっている。そして、貯蓄率の低下と資本ストック増加速度の鈍化は税制やマクロ経済政策や、社会保険制度の拡大を反映するものにほかならない。(邦訳5ページ)
 こうした認識が、1980年のレーガン政権の発足に大きく影響しているであろうことは疑い得ないだろう。レーガン時代、軍拡と大幅減税によって財政赤字は爆発的に拡大したが、社会保障・福祉支出は劇的に削減され、規制緩和・撤廃が次々と実行に移されたのである。その意味で、フェルドシュタインの認識は、少なくとも当時のアメリカ人の認識 を代表していることは疑い得ないと言えよう。
 目をアメリカから日本に転じよう。1990年初のバブル崩壊以降、拡張的な財政政策が実行されながら、景気拡大は持続的で自律的な経済成長につながらなかった。これが97年の橋本改革と呼ばれた財政支出・税制・社会保障・政府機構の改革へとつながっていったわけだが、当時に言われていた改革の方向は、まさに80年代初頭にアメリカで唱えられた「小さな政府論」なのである。俗に、日本社会と政治はアメリカに周回遅れと言うが、この場合には17年遅れて「レーガン改革」が実際に日本の経済政策の方針として採用されたということもできる。こうした動きはその後もやむことなく、2001年に至って小さな政府論を中心にした構造改革を唱えた小泉政権の発足へとつながったのである。
 政府の過度の経済への干渉が好ましくないこと、そしてそうしたシステムは経済成長の足枷となるであろうことは、アダム・スミス以来の主流派経済学の根本命題であると言っても良い。その意味で、一般的な意味で構造改革が目指すものに対して経済学者の間に大きな異論は存在しないと言って良い。議論の余地のある問題は、1980年代初頭のアメリカと、21世紀初頭の日本が、同じ問題を抱えていたのかという一点に尽きると言えよう。
 長期にわたる低成長、財政赤字の拡大という事実に関する限り、日本は80年代初頭のアメリカ同様の問題を抱えていたと言っても良い。だが当時のアメリカはインフレーションとドルの減価そして経常収支の赤字化という問題に苛まれていた。だが、日本は1%程度という緩やかなものとはいえ98年以降はほぼ一貫してデフレーション状態にあった。また、円の対外価値は名目ベースでは80年代の200円=1ドルから90円まで増価している。これは物価水準の変化を考慮した実質ベースでも程度こそ違え同じであり、少なくとも減価しているにはほど遠い状態にある。また、経常収支は投資収益収支の大幅な改善もあるにしても一貫して大幅な黒字を続けており、過去20年間世界最大の対外純資産国なのである。この相違が、日本に対して1980年代のアメリカの処方箋を適用すべきなのか否かという議論を引き起こす原因となっている。
 「バブル/デフレ期の日本経済と経済政策」の各巻・各論文は、より広範囲な問題を扱っている。典型的には、金融危機に直結した不良債権問題は大きな論点であり、一巻をまるまるその分析に充てているほどだ。その他にも多くの論ずべき問題があり、読者はそれぞれの問題意識に従って読むことができるだろう。だが、プロジェクトの一員として当初から参加し、自分自身論文を執筆した私自身にとっては、このプロジェクトは「戦後アメリカ経済論」の日本版であり、そこでの最大の問題は、上に書いたように「果たして日本とアメリカは同じ問題を抱えているのか?あるいは、異なった問題に同じ処方を適用してしまったのか?」という問いなのである。もし、この問いに共感される読者がいるのであれば、膨大ではあるが、興味深い分析からなる本シリーズを自ら読まれてその答えを見つけ出して欲しいと念じている。 (おかだ・やすし) ESP’10.冬

ちなみに、ファルドシュタインの序文では討論部分の要約を書いてくれたことに感謝をされているのが、ジェフリー・サックスである。